東京高等裁判所 昭和32年(う)1932号 判決 1958年2月04日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役三年に処する。
押収にかかるペーパーナイフ及びその鞘各一本(東京高等裁判所昭和三二年押第六四三号の一、二)は、いずれもこれを没収する。
原審及び当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、千葉地方検察庁木更津支部検察官検事鈴木茂作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これをここに引用し、これに対して次のとおり判断する。
本件公訴事実の要旨は、被告人は、木更津市吾妻町に駐留する米軍二七二三中隊に所属する空軍一等兵であるが、昭和三二年一月九日午後八時五〇分ごろ、自転車に乗り、後方荷台に小倉ミチ(当一九年)を同乗させ、同市木更津三九〇番地道路(通称与三郎通り)を木更津駅方面に向け進行中、前方より酩酊歩行して来た、栗原健次(当二四年)と衝突し、同所において同人と殴合のけんかとなり、同人に胸倉を掴えられ漸次後方に押しまくられるや、所携のペーパーナイフ(日本刀を模造した刃渡約一一糎最大刃巾約〇・八糎)をもつて同人の右上腹部を突き刺し、因て同人に対し、右上腹部に下空静脈並びに胆嚢動脈損傷の刺創を負わせ、同日午後九時三〇分頃同市木更津八七八番地武山病院において、右刺創による失血のため死亡するに至らしめたものである。というのであるところ、原判決が、右公訴事実は、犯罪の証明がないものとして、刑事訴訟法三三六条に則り、被告人に対し無罪の言渡をしていることは、所論のとおりであつて、所論は、本件公訴事実は、これを認めるに足りる十分な証拠があるのであるから、原判決は、証拠の取捨判断を誤つた結果事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである旨を主張する。
よつて案ずるに、医師宮内義之介作成の昭和三二年一月一八日附鑑定書と医師榎本武雄作成の診断書とによれば、栗原健次がその上腹部、正中より右方約三二糎、臍より上方約八・〇糎の部に発し、略右方に向う長さ約〇・八糎、創洞は上後方に向い、胆嚢動脈、下空静脈等を経て脊椎右前面腹膜に終り、その全長大約一一・〇糎を算する刺創を負い、右刺創による失血のため昭和三二年一月九日木更津八七八番地武山病院において死亡した事実が認められ、証人石山清義、同小倉ミチ、同内山博、同地曳登美、同岩田広、同小堀貞司、並びに被告人の原審公廷における各供述と検察官作成の実況見分調書とを総合するときは、右栗原健次は、昭和三二年一月九日福岡市郎と共に石山清義の運転する「トラツク」に乗り、午後八時過ごろ、木更津市に行き、右両名と共に同市内のすし屋で飲酒した上、午後九時前ごろ通称与三郎通りを南方(富士見通りの方向)より北方に向つて歩行し、同市木更津三九一番地辰美そば屋前にさしかかつたこと、一方被告人は、米駐留軍木更津空軍基地勤務の空軍一等兵で、同日同市内の映画館で映画を見た後、自転車に乗り、後部荷台に小倉ミチを同乗させ、前記与三郎通りを右栗原と反対方向より富士見通りの方向へ向つて進行し、前示辰美そば屋の前あたりで、栗原とすれちがうことになつたのであるが、そのすれちがいの際両者でけんかとなつたこと、被告人は、相手につかまえられ、右そばやの北隣の飲食店「いちばん」の前の方まで押されて行つたこと、その後、けんかが漸次道路の反対側に移動し、道路を隔てて前記辰美そば屋の向側にある岩田吉蔵経営の焼いも屋の前へ移つて行つたが、右栗原は、同焼いも屋の南隣にある同市木更津三八八番地志保沢貞御茶店前の路上において前示刺創のため倒れてしまつたものであることが認められ、なお、押収にかかる日本刀を模造したペーパーナイフ一本(東京高等裁判所昭和三二年押第六四三号の一)及びその鞘一本(同押号の二)の存在と、証人地曳登美、同斉藤やえ子、同秋山実、同青柳米蔵の原審公廷における各供述と、前示検察官作成の実況見分調書とを総合すれば、右ペーパーナイフの刀身は、前記焼いも屋の右はしの前にあつたアイスクリームの空箱の中の炭の空俵の上にあつたのを、同日午後一一時ごろ発見されたものであり、その鞘は、前掲辰美そば屋とその南隣の高梨ミシン屋との間にある露地内にあつたのを、翌一〇日朝発見されたものであることが認められ、これらと前掲医師宮内義之介の鑑定書及び同人作成の昭和三二年一月二五日附(鑑定物件として匕首等が掲記されているもの)、同年二月二八日附、同年三月四日附(ペーパーナイフに関するもの)各鑑定書とを総合するときは、栗原健次の被むつた前示刺創は、右のペーパーナイフのみねを同人の腹部正中の方に向けてこれを刺入したことによつて形成せられたものと推断することができるのであつて、以上の事実は、原判決においてもこれを肯定していることが原判決書の記載によつて明らかである。よつて、進んで、栗原健次の右受傷は、何人が右ペーパーナイフを刺入したことによつて生じたものであるかについて審究するに、本件に顕出されたすべての証拠に徴して考察すると、栗原の右受傷は、同人が被告人と前示のけんかをした際に生じたものであることは、動かしがたいところであるが、右けんかの状況を目撃していたすべての証人らの供述を総合すると、右けんかの現場にいて、これに関係した者は、栗原本人と石山清義、福原市郎、小倉ミチ、及び被告人との五名であつて、それ以外の者がこれに介入した事実は、全然認められないのである。そして、右五名のうち、栗原本人が自ら自分の身体を刺したものとは到底考えられないところであるし、小倉ミチが直接右けんかに加わつたことは、いずれの証人も供述していないのであるから、残るところは、結局、右石山、福原、及び被告人の三名のうちの誰かによつて刺されたものと断ぜざるを得ない訳である。そこで、右三名について、それぞれ関係証拠を検討することとする。
(一) 先ず、栗原を刺した動機について考えてみるに、けんかの状況を目撃した証人らの供述によると、右けんかの一方の当事者については、あるいは一人だという者もあり、二人または三人だという者もあつて、その供述が一致しないようであるけれども、その相手方としては、被告人がただ一人であつたことについては、各証言の一致するところであるから、ひつきよう、被告人一人が、栗原、石山、福原ら三名のうちの一人ないし三人とけんかをしたことになる訳であつて、石山及び福原が栗原とけんかをした事実は認められない訳である。従つて、前示三名のうちで、被告人については、栗原のけんかの相手方として、栗原を刺す動機は、十分に考えられるけれども、石山及び福原については、証拠上栗原を刺さなければならない動機が全然考えられないのである。
(二) 本件に顕出されたすべての証拠に徴しても、石山または福原が栗原を刺したことを認め得られる資料は、どこにも発見することができないのである。
(三) 栗原が路上に倒れた前後の状況を目撃した証人石山清義、同福原市郎、同内山博らの原審公廷における証言によれば、同人らは、いずれも、栗原と被告人とがけんかをしたこと、及びその際刺創を受けた栗原が道路に倒れたことはみているが、栗原が刺される状況そのもの及びペーパーナイフが前記アイスクリームの空箱に落された状況を目撃していないというのであるから、このような状況から判断すれば、栗原を刺した者は、前記ペーパーナイフで瞬間的に同人の上腹部を突き刺し、その場において、直ちにアイスクリームの空箱にペーパーナイフを捨てたものと推認されるのであるが、証人八幡光次、同小倉ミチ、同宮沢克夫の原審公廷における各供述、押収にかかるボタン一個(前同押号の三)、同オーバー一枚(同押号の四)の存在、検察官作成の実況見分調書等によれば、被告人が栗原とけんかをした際、被告人の着用していたオーバーの前ボタン一個が前掲焼いも屋の前に落ちていた事実が認められ、この事実と証人石山清義、同福原市郎、同岩田広の原審公廷における各証言とを総合すれば、被告人が右けんかの際前示焼いも屋の前にいた事実が認められ、前記実況見分調書によれば、右オーバーのボタンの発見された位置は、ペーパーナイフの発見された空箱の外側より約三〇糎の距離にあつたことが認め得られるのであるから、被告人は、栗原が刺創を受けた当時、背後に前記アイスクリームの空箱の存する位置にいた事実が認め得られるのであつて、この事実から、被告人は前示ペーパーナイフで瞬間的に栗原を刺し、直ちにこれを右空箱に捨てることのできる位置にいたことを推認できるのである。
(四) 被告人が右ペーパーナイフを所持していたことを確認するに足りる直接の証拠の存しないことは、原判決の判示するとおりであるけれども、
一、証人鳥海義之助、同阿部賰一、同田井謙三、同佐藤俊夫、同大友政蔵、同木村当行、同吉永貞雄の原審公廷における各供述を総合するときは、ほとんどの日本人は、栗原の前記刺創を形成したと認められる押収の前示ペーパーナイフ及びその鞘のような形態のペーパーナイフを使用する習慣がなく、このような品は、外人向に製造され、外人を対象として販売されているものであることが窺い得られるのであり、
二、押収にかかる被告人着用のオーバー一枚(前同押号の四)及び鑑定人宮内義之介作成の昭和三二年三月四日附鑑定書を総合するときは、右オーバーの左側ポケツトに鋭利な刃を有する兇器によつて形成されたと認められる損傷があり、この損傷は、右ペーパーナイフの刺入あるいは刺切入によつて形成可能であることが認められ、右の証拠により、被告人のオーバーの左側ポケツト内に正鋭な刃を有する物が入れられた事実が認め得られるのであり、
三、被告人は、前記(三)のように、けんかに際し、ペーパーナイフを容易にアイスクリーム空箱に投げることのできる位置におつた事実が認め得られるのであり、
四、証人斉藤やえ子、同青柳米蔵、同石山清義、同小島ミチの原審公廷における各供述、及び検察官作成の実況見分調書を総合するときは、押収にかかる前記ペーパーナイフの鞘の発見された場所は、栗原が倒れた後、被告人がその場所を去ろうとして、自転車のそばに行き、更に石山に押えられ、電話をかけに行くと称して出て行くとき通つた道路からは、容易に右の鞘を投げることのできる場所であることが認め得られるのであり、
五、レオナルドマンソン、及びロバートキム各作成の診断書、証人小倉ミチ、同渡辺鉄之助の原審公廷における各供述、押収の写真一葉(前同押号の八)によれば、右けんかの際、被告人の左手示指の内側第二関節の彎曲部を挾んで上下二ヶ所に鋭利な刃のある物による軽い傷を生じたことを認め得られるのであつて、
以上を総合すれば、駐留軍人である被告人が右ペーパーナイフの刀身及びその鞘を所持していたことを推認することができるものといわなければならない。
(五) 鑑定人宮内義之介作成の昭和三二年一月一八日附、同年二月二八日附各鑑定書によれば、栗原の受けた前記刺創は、同人に正対する者が、右ペーパーナイフを左手に握つて突き刺したことによつて生じたものと推断し得られるのであるが、目撃証人のすべての供述を検討してみても、かかる位置にあつた者は、ただ被告人一人のみであつた事実が窺われるのである。
(六) 本件に顕出された証拠の上からは、被告人の左手示指に生じた前示切創は、同人が右ペーパーナイフを左手にもつて、栗原を突き刺したとき、またはこれを引き抜くときに生じたものと考えるほかには、他に合理的な理由を発見することができない。
(七) 証人石山清義、同福原市郎は、いずれも原審公廷において、すし屋で飲酒後、トラツクを富士見通りの道路上に駐車し、福原は残り、栗原と石山とが与三郎通りを歩いて行つたところ、栗原と被告人とがけんかを始めたので、石山は、トラツクに残つていた福原を呼びに行き、同人と現場に行つたら、前記焼いも屋の前で、栗原は富士見通りの方を向いて被告人と相対し、左手で被告人の襟首をつかみ、右手で被告人の左の袖口を押え、被告人によりかかるような状態であつた。福原が栗原と被告人との間に入つて同人らを分けると、栗原は、その場で一たん路上にくずれるようになつたが、また立つて、前記志保沢茶店前まで行つて倒れてしまつた旨の供述をしておるのにかかわらず、原判決は、証人石山清義、同福原市郎の前記各供述は、これを証人内山博、同山田市治、同小堀貞司の原審公廷における各供述に照らして考えると、必ずしも十全の信用を措きがたい旨を判示しているので、右証人内山博、同山田市治、同小堀貞司の原審公廷における各供述を検討し、これを前示証人石山、同福原の各供述と対照してみるに、結局、内山、山田、小堀らの各供述が石山、福原らの各供述と矛盾すると考えられる点は、福原市郎が、被告人と栗原とが前示与三郎通りの辰美そば屋の前でけんかを始めた当初から、栗原と共に現場にいたのか、それとも、初めは、富士見通りに駐車させたトラツクの中に残つていて、前記けんかの途中で、石山が呼びに来たので現場に行つたのであるかの点のみであることが認められるのであるから、右証人内山、同山田、同小堀らの供述をもつては、必ずしも前示証人石山、同福原の各供述中前示焼いも屋の前で、栗原が富士見通りの方を向いて被告人と相対し、左手で被告人の襟首をつかみ、右手で被告人の左の袖口を押え、被告人に寄りかかるような状態であつた。福原が栗原と被告人との間に入つて同人らを分けると、栗原は、その場で一たん路上にくずれるようになつたが、また立つて前記志保沢茶店前まで行つて倒れてしまつた。」旨の部分までをも排斥することができないことは、検察官所論のとおりであるばかりでなく、右石山、福原らが栗原のけんかの相手方ではない関係から考えても、本件につき特に虚偽の供述をしなければならない事情の存在が考えられない点と、証人鈴木良二、同地曳登美、同斎藤やえ子の原審公廷における各供述とを総合して考察するときは、前示石山、福原両証人の各供述は、いずれも信用するに足るものと考えられるのである。そして、右両証人の前示各供述並びに、栗原が倒れた後の状況に関する右両証人の各供述を総合すると、当初けんかとなつたときは、栗原と同行していた者は、石山のみであり、その後、右石山も福原を呼びに行くため現場を去り、同人が福原と現場に戻る直前に、被告人は、すぐその背に前記アイスクリームの箱の存する位置において、右ペーパーナイフのみねを自己の内側に向けて左手に持ち、被告人と正対する栗原の右上腹部を突き刺して前記刺創を被むらせ、そのため栗原は、被告人の左の袖口を右手で押えて再度の攻撃を防いでいたものであるとの推断ができるものといわなければならない。
しかして、以上(一)ないし(七)において説示したところを総合考かくするときは、栗原健次の被つた前記刺創は、被告人が所持していた押収の右ペーパーナイフのみねを自己の内側に向けて左手に持ち、被告人と正対する栗原の右上腹部を突き刺したことによつて生じたものであることが認め得られるのである。しかるに、原判決は、栗原の被むつた刺創の状況そのものから、直ちに、右刺創は栗原に正対する者が前記ペーパーナイフを左手に握つて突き刺したことによつて生じたものであるという推断もにわかになし難い旨を判示しているのであるが、前示鑑定書に照らして考えれば、その理由を解するに苦しむところであり、また、栗原の刺創が、被告人以外の所為によるということの可能性という点より考えてみても、かかる可能性の存在が全く排除されたと断定するに十分な証拠も認められない旨を判示しているけれども、本件に顕出されたすべての証拠に照らして検討を加えてみても、被告人以外の者の所為によることを窺うに足りる何ものをも発見することができないのである。してみれば、本件公訴事実は、すべて原審で取り調べた証拠によつてこれを肯認することができるのであつて、記録並びに原審で取り調べた証拠物を精査し、かつ、当審における事実取調の結果に徴して検討考察してみても、右の認定が誤つているものとは考えられないから、原判決は、証拠の取捨判断を誤つた結果、事実を誤認したものというべく、その誤認が判決に影響を及ぼすべきことは、極めて明白であるから、原判決は、この点において破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条に則り、原判決を破棄した上、同法第四〇〇条但書に従い、当裁判所において、更に次のとおり自ら判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、米駐留軍木更津基地勤務の空軍一等兵であるが、昭和三二年一月九日、木更津市内の映画館で映画を見た後、同日午後九時前ごろ、自転車に乗り、その後部荷台に小倉ミチ(昭和一二年一一月一日生)を同乗させ、同市内の通称与三郎通りを富士見通りの方向へ向つて進行中、同市木更津三九一番地辰美そば屋の前あたりで、折から前方より酒に酔つて歩いて来た栗原健治(昭和七年三月八日生)とすれちがおうとした際、同人と衝突して両者けんかとなつたが、同人のため襟首を押えられて右そば屋の北隣の飲食店「いちはん」の前の方まで押されて行き、更に押されて道路の反対側に移動し、道路を隔てて前示そば屋の向側にある岩田吉蔵の経営する焼いも屋の前に行つたとき、所携の日本刀を模造した刃渡約一一糎、最大刃巾約〇・八糎のペーパーナイフの刀身(東京高等裁判所昭和三二年押第六四三号の一)をもつて右栗原の右上腹部を突き刺し、因つて、同人の同部に長さ約〇・八糎、創洞は上後方に向い、胆嚢動脈、下空静脈等を経て脊椎右前面腹膜に終る全長大約一一・〇糎を算する刺創を負わせ、同日午後九時三〇分ごろ、同市木更津八七八番地武山病院において、右刺創による失血のため死亡するに至らしめたものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(法令の適用)
法律に照らすと、被告人の判示所為は、刑法第二〇五条第一項に該当するので、その所定刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し、押収にかかるペーパーナイフ一本(東京高等裁判所昭和三二年押第六四三号の一)は、本件犯罪行為の供用物件であり、同その鞘一本(同押号の二)は、右ペーパーナイフの従物であつて、右両者ともに、犯人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第二号第二項本文に則り、いずれもこれを没収し、原審及び当審の訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い、全部被告人の負担とする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 中西要一 判事 山田要治 鈴木良一)